映画「グランツーリスモ」視聴。2024/08/24

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0CHNCCZ2H/ref=atv_dp_share_cu_r

まあああつまりゲームでの成功を社会的成功と紐づけることでゲームの社会的地位を底上げするといういつもの。そういうアレ。
ただ実話ベースというストーリーなので現実でそれに成功した事例。そういうアレ。

ゲームと現実を紐づける、シンクロさせる。明確にバランスを取らない限りどちらかに傾くのが自然で、本作は現実(の価値観)に寄ってましたね、程度の。
ゲームのリアルでの価値を高めるというのは、リアルと紐づけやすい事がゲームの価値になってくる、そういう話になるんじゃねえの?みたいな問題意識は、ちょいちょい見かけたけどなくなりましたね(それが資本主義やでというね)

ちょうど直近で「満潮!ツモクラテス(片山まさゆき)」を読んだんですけどぉ…、「純粋な格付けがしたければ ノーレートで打つしかない」理論はいうてもグランツーリスモ(ゲーム)でも当然あると思うんですよね。そういった反発は無かったのか?まぁこの映画で取り上げられることはないか…
(特に大勢の人間が関わるチームとしての対戦が主流となるモータースポーツでは…)

ゲームと現実の違い。それが(ゲームはこうだが)現実は違う(だからゲームは劣っている)という構図が主流で、逆ではないのが多数派であるという。
「(現実はこうだが)ゲームであること」の差異が重要であると意識されないことには、「ゲームであること」は重要であると意識されない(ほぼほぼトートロジー)

我々格ゲーマー(俺自身はその末端の末端だが)が格闘ゲームのポジションを現実(リアル)に奪われる時。それは「個人同士の殴り合い」の高度なシミュレーションが適当なUIで操作可能になった時か?
ヘッドセットとグローブの装着だけで殴り合いをシミュレーション出来た時か?
「そうなった時」に「これは…格闘ゲームではない!」と世の中の"多数派"に認識されることを祈る(そういう〆の感想で良いのか)

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